本丸より(5)

◆Don't even think about it◆



ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープ主演の映画 "Falling in Love"(邦題:恋に落ちて)は、ニューヨークのクリスマスのシーンから始る。
私はこの映画を、ニューヨークに来るずっと前に劇場で見て、ニューヨークに行くことがあったら、ぜひ、ロバート・デ・ニーロのような人とぶつかるために57丁目にあるリゾーリという本屋に行きたいと思い、また、ロバート・デ・ニーロのような人が乗っているらしい列車にも乗ってみたいと思っていた。そして、実際にその本屋に行き、列車にも乗ってみたが、当然のことながら、そこにはロバート・デ・ニーロのような人はいなかった。

この映画は日本ではかなりヒットした作品に入るらしいけれども、当のアメリカではあまりパッとしなかったという話を聞いたことがある。まず、主人公達の煮え切らない行動が、アメリカ的ではなく、見ていて府に落ちないということだった。この映画はデーブ・グルーシンの美しい音楽に乗った西洋「メロドラマ」である。

ロバート・デ・ニーロ扮する建築家には家庭があり、メリル・ストリープ扮する女性にも医師の夫との家庭があった。それほど幸せいっぱいというわけでもなく、かといって、それを壊してしまうほどの不満もなく、クリスマスにはそれぞれ、夫と妻へのプレゼントに本を買うのだった。それが57丁目のリゾーリという本屋だった。デ・ニーロ(役名はすっかり忘れてしまった)は庭仕事を趣味とする妻へガーデニングの本を買い、ストリープは夫のためにヨットの本を買う。そして、出口でぶつかった拍子に、二人の本がすりかわってしまうのだった。きっかけは、そんな些細な出来事だった。そして、同じ列車でマンハッタンへ通う二人はまるで自然の流れのように恋に落ちる。
と、ここまではいいのだが、この二人、心で恋をするばかりで、結局結ばれることなく、気まずい感じになってしまう。お互い“家庭”というものにひっかかってしまうのだ。この辺りが、日本人にはバカウケしたけれどもアメリカでは「なにウダウダ遠回りなことやって、好きならさっさとくっついてしまえばいいのに、ああイライラする!」という感想になるのだった。
そして、結ばれることなく、なんとなく終わったかのような「恋」に、デ・ニーロの妻は薄々気が付いてしまう。こういう場合、女と言うのは特殊な生き物か何かのように、やたらめったら「カン」がいい。女は生まれながらにしてCIA工作員の素質を持っているのではないかと思わせるくらい、勘が働き、そして、その勘はたいてい大当たりする。
なんとなく様子が変なデ・ニーロに妻が問いただす。
すると、デ・ニーロは正直に、ありのままの出来事を話すのだった。
ある女性と出逢った。だけど、何もないのだと。もう終わったことなのだと。
その台詞を静かに聞いていた妻は、懺悔したデ・ニーロの横っ面を思いきりひっぱたく。そして一言告げる。「何もないのは、もっと悪いわ」と。

ならば、何かあったらよかったのかと言えばそうではないのだろうけれども、こころで恋することと、単なる浮気には雲泥の差があるのだと、彼女の行動が物語る。
彼女は子供を連れて出ていき、彼らは結局、修復不可能で別れる。
そして、ストリープのほうも終わったかのように思われた「恋」がこころのどこかにひっかかったまま、情緒不安定な日を過ごす。そこに、転勤前に一目会いたいと言うデ・ニーロからの電話に一度は断り終わったものと片付けようとするが、結局、夫の制止を振りきり、雨の中、車を飛ばし会いに行こうとする。しかし時は未だ満ちず、会えないままに終わる。

そして1年が過ぎ、またクリスマスがやってくる。
そして、あの本屋で偶然再会するも、お互いの「その後」の出来事には触れようとしない。お互いが家庭に戻ったと思い込む。まるで何もなかったかのように、まあ、実際、こころでひかれ合ったこと以外、何もなかったわけだけど、そのまま別々の方向に歩きはじめる。
しかし、やはり気になるあの人の事、というわけで、後を追うが見失う。
ああ、やれやれ、悲恋はやはり終わるのかと思いきや、列車の中に彼女を探す彼の姿。そうして、二人は抱き合って、The Endとなる。

この映画の中の功労者は「何もないのは、もっと悪い」という価値判断をくだしたデ・ニーロの妻にあるかもしれない。この一言がなかったら、この物語は先に進まない。

“No Parking. Don't Even Think of Parking Here”
(駐車禁止。車を停めようと考えることも禁止)

マンハッタンの賑やかな通りの駐停車禁止の標識にはよく、こう書かれている。

それは古く聖書にもかかれているとおり、
考えた時点ですでに罪を犯していることになると。

しかし、現実社会では「なにもなかったなら、ま、いいか」と言う人のほうが断然多いのではなかろうか。こころがどこにあろうと、体と地位や財産や体裁がここに残れば、文句はないと。

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